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ラリー・ジョンソン (バスケットボール) : ウィキペディア日本語版
ラリー・ジョンソン (バスケットボール)
ラリー・ジョンソン(Larry Demetric Johnson、1969年3月14日-)は、アメリカ合衆国テキサス州タイラー出身の元バスケットボール選手。ポジションはパワーフォワード。NBAのシャーロット・ホーネッツニューヨーク・ニックスで活躍した。身長201センチ、体重113キロ。
==キャリア==
1988-1989年シーズンはオデッサカレッジでプレーしていた。移籍したUNLV大学で1990年のNCAA男子バスケットボールトーナメントで優勝、1991年のNBAドラフト1巡目全体1位でホーネッツに指名されて入団した。その年ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。ケンドール・ギルと翌1992年のドラフト1巡目全体2位で指名されたアロンゾ・モーニングが加入しホーネッツは「フューチャーブルズ」(未来のシカゴ・ブルズ)と呼ばれるほど強豪チームとして期待された。
1994年バスケットボール世界選手権ドリームチームIIとして出場し優勝した。1995-96シーズン前にジョンソンとモーニングの間に摩擦が生じモーニングはマイアミ・ヒートにトレードされてチームは停滞した。1996年、ジョンソンもアンソニー・メイソンとのトレードでニックスにトレードされた。
ニックスでは、1999年のプレーオフのインディアナ・ペイサーズ戦で重要な役割を演じた。残り11.9秒でボールを受けたジョンソンは3ポイントシュートを放った際に、アントニオ・デービスのファウルを受けたがこれを見事沈めてフリースローも与えられ92-91でそのゲームの勝利を呼び込んだ。その年ジョンソンにとって初のNBAファイナル出場を果たした。翌2000年のカンファレンスファイナルでのペイサーズとのシリーズでも活躍したが、チームは2勝4敗で敗れた。2001年の10月10日に引退を表明した。腰に爆弾を持ったままの現役生活で、キャリアの最後の5年間では序々に平均得点を減らしていた。
2007年7月にジョンソンはニックスでリーダーシップを発揮する役割を担おうと現役復帰する意思を持っていることが報道された。
映画、スペース・ジャムで才能を奪われてしまうNBA選手としてボーグス、ショーン・ブラッドリーチャールズ・バークレーパトリック・ユーイングとともにカメオ出演を果たしている。
イニシャルからLJまたは出演したコンバースのCMで老婦人を演じたため、Grandma-maの愛称で呼ばれた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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